1900年代前期のパリの古い写真のポストカード Vol.4

パリ、ノートルダム大聖堂、東ファサードのイルミネーション ローマカトリック教会のひとつで、ゴシック建築のもっとも代表的な建造物。「ノートルダム」とはフランス語で「我らが貴婦人」という意味で、聖母マリアを指すそうです。工事は1163年に着工され最終的に現在の形に到ったのは1345年でした。2019年4月15日夕方の火災事故により、屋根の尖塔が崩落したしたのは記憶に新しい。フランスのメディアでは、現地で実施されていた改修工事による火災と報じられました。 1920-40年  YVON @2000-

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パリ、18区にあるモンマルトルのサクレ・クール寺院 1914年完成で建物の歴史はそれほど古くありません。建造の目的は第三共和政の憲法が発布された1875年に、フランスの新しい門出を祝う意味合いをこめて建設が始まりました。エッフェル塔と同時期ごろに工事されました。ちなみにサクレ・クールとは「聖なる心臓」を意味し、イエス・キリストの聖心に捧げられたことを意味する。1948年 GUY @2000-

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パリ、アレクサンドル3世橋 奥に見えるのは左がグラン・パレ、右がプチ・パレ。1900年のパリ万博の記念のポストカード。

この橋は当時のフランス大統領サディ・カルノーとロシア皇帝アレクサンドル3世の間に結ばれた友好の証として、ニコライ2世よりパリ市に寄贈、1900年のパリ万博にあわせて建設されました。橋の礎石は1896年にニコライ2世によって設置されたという逸話があります。 1900年  @2000-

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パリ、トロカデロ広場から続くシャイヨ宮のテラスから見たエッフェル塔 1900年のパリ万博の記念のポストカード。周りには各国のパビリオンや観覧車などが見えます。因みに西暦1900年は明治33年、この万博には夏目漱石が訪れたことで有名です。 1900年 @2000-

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パリ、ガルニエ宮、オペラ座とも呼ばれる。パリ国立オペラの公演会場のひとつである。1862年に着工し1875年完成。この劇場は設計者の名から「ガルニエ宮」と呼ばれることとなった。

特筆すべきは、この建築が行われた頃のフランスは、1867年のメキシコ出兵の失敗、1870年の普仏戦争の敗戦とナポレオン3世の亡命(翌年没)による帝政の終焉、そしてパリ・コミューンによる共和政の復活など大事件が多く、工事はそのたび中断となりました。 1941年 @2000-

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パリ7区、シャン・ド・マース駅の1910年1月のパリ大洪水の時の写真 線路が洪水で埋没しています。左奥はエッフェル塔。最初のマース駅は1867年のパリ万博の会場への交通手段として開業しました。1900年のパリ万博時には、セーヌ川沿いの塹壕に新しい駅が設立されました。写真はその時のものになります。 1910年 @2000-

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パリ16区、トロカイデ宮殿と手前はセーヌ川に架かるイエナ橋 写真はエッフェル塔から見た景色。トロカイデ宮殿はシャイヨ丘に1867年のパリ万博の国際会議場として建てられました。その後1937年のパリ万博の時にシャイヨ宮を新設するため取り壊されました。

イエナ橋は1806年のナポレオンによるイエナの戦いの勝利から「イエナ橋」と名付けら、1814に完成。その後1937年のパリ万博に合わせて拡幅工事が行われ、現在の道幅は19mから35mになったそうです。写真は工事前のものです。 1922年 @2000-

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パリ7区、エッフェル塔の橋脚 奥にはトロカイデ宮殿。エッフェル塔は1887年工事着手、1889年完成しました。元々1889年のパリ万博のために建設されましたが、同時にフランス革命100周年記念に間に合いました。パリ万博のオープンに展望台へのエレベーターは間に合わず、観光客は1710段を階段で上ったそうです。

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他にもまだポストカードがたくさんございます。ぜひお店でご覧ください。

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