ニコラス・フェナル Nicolas Fenal(1851-1905)は、1873年に18世紀初期から続くリュネヴィル、ペクソンヌ(Pexonne)の陶器工場の経営を引継ぎます。その後、1897年バドンヴィエに自身の製陶工場を設立。これがバドンヴィエ窯の始まりでした。

ニコラスの死後、工場は息子(エドゥアール・フェナル)と甥(テオフィル・フェナル)に引き継がれ、Fenal Frères(FF、Pexonne)のブランド名で一般的な陶器、高級陶器、レンガやタイルも製造していました。

バドンヴィエでは、製造コストが比較的高い「手描き」の装飾より、銅板から印刷された転写紙印刷方式が使用されました。しかしそれは単色しか使用できない技法でした。20世紀初頭にはエアブラシ(Vapo)の装飾技法が開発され、複数の色を使用できるようになりました。

1905年にテオフィルの死後、息子のエドゥアールのもと会社はますます発展し、ピーク時には最大1000人もの従業員が操業していました。

1921年には、フェナル家はリュネビルとサンクレメンの陶器工場を買収。これらの工場もエドゥアールによって運営されていました。バドンヴィエの陶器工場は息子のベルナール・フェナルによって運営が引き継がれます。


1938年、フェナル家の大黒柱だったエドゥアールは亡くなり、その後、第二次世界大戦によってベルナールも戦死、工場はドイツ軍の激しい攻撃により壊滅状態となります。1944年にはドイツ軍による強制送還が始まり、工場は閉場となります。

戦後、製陶工場は後継者であるギルバートに引き継がれ再建されますが、戦争の影響もありペクソンヌ工場は1953年に閉鎖されます。

1963年には工場の運営は破綻、バドンヴィエ、リュネビル、セントクレメントの各工場はFenalグループに統合されました。
1980年代、FenalグループはSarreguemines(FSDVグループ:Faïencerie Sarreguemines Digoin Vitry-le-François)と協力して、大幅に人員を削減し規模を縮小して製造を続けました。

バドンヴィエの製陶工場は1991年に完全に閉鎖され、長い歴史に終止符が打たれました。生産は唯一サンクレメン工場のみで行われています。

Faiencerie Badonviller – Sortie du personnel