Société Céramique はオランダ、マーストリヒトに19世紀後期に創業したオランダを代表する古窯です。

ヨーロッパでの伊万里焼の起源は17世紀、オランダ商館長ツァハリアス・ヴァグナーがヨーロッパ人の好みに合う陶磁器の制作を肥前国(佐賀県有田)に依頼し、1652年から伊万里焼の海外への輸出が始まります。ヨーロッパ方面への伊万里焼の陶磁器の輸出は東インド会社によって行なわれていました。

日本の白磁器はジャポニズムと呼ばれ、染付の素地に赤や青、金彩を多用した絵付を施した「古伊万里金襴手」がヨーロッパ向けの輸出品となり、ヨーロッパ上流階級に大変人気がありました。浮世絵がロンドン、パリ万博で公開されたのは19世紀の後半ことですから、日本の陶磁器はそれよりもずっと以前にヨーロッパに浸透していたんですね。

その頃のヨーロッパにはまだ白磁器というものは無く、その後ヨーロッパで白磁鉱(カオリン)が発見されると、ドイツのマイセンやフランスのセーブルなどの陶器メーカーが日本や中国の磁器を模した製品を盛んに製造するようになりました。

本品は名前を「JAPON」といいます。19世紀後半にソシエテセラミックがデザインしたジャポニズム様式の典型的な一品です。当時の伊万里焼の影響を色濃く受けているのが判ります。

本来、日本色の強いものはあまり仕入れないのですが、こちらのカップは絵柄がとても気に入って購入しました。花器に飾られた花の数々、横に広がる構図もめずらしく、ジャポニズムとキュビズムが重なったような遊び心を感じる花器のデザインもおもしろいですね。ソーサーはありません。

・Holland 1900年前後

・サイズ:口径7.8cmx高さ6.6cm

詳細写真はONLINESHOPにてご確認ください。

ONLINESHOP

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伊万里焼と古伊万里の大きな違いは、江戸時代に佐賀県有田町で焼成された歴史的、骨董的価値のある作品を「古伊万里」と呼び、明治以降に現在の佐賀県伊万里市で焼成された陶磁器のことを「伊万里焼」と呼ぶそうです。

明治初期に焼き物を産地名で呼ぶようになり、現在の伊万里焼と呼ばれる陶磁器が誕生することとなった。古伊万里は中国の王朝である明から清への時代変革時に発生した、欧州での中国磁器の断絶に代わる最良の品として欧州へと輸出されることとなった。古伊万里はヨーロッパの王侯貴族達に愛され、今でもオールドイマリ(Old Imari)として世界中に熱烈なコレクターが存在する。

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