Creil et Montereau はパリの北のクレイユと南のモントローが1840年に合併して出来ました。当時のフランスは18世紀の終わりにフランス革命が起こり、長く政権を掌握してきたブルボン王朝が衰退し、ナポレオンの時代となります。Creil et Montereau はちょうどそんな時代、フランス七月革命の後に誕生しました。
Montereau は1748年創業のパリの南イル・ド・フランスにある古窯。 当時から繊細な絵付け技術に定評があり、当時のパリのブルジョアたちにも人気を博した窯でした。 一方パリの北にある Creil は1797年に設立された古窯で、英国のウェッジウッドのボーンチャイナを範としていました。
この2つの製陶工場は1840年に合併、1876年まで合併当時の経営者のイニシャルである「LM&Cie(Lebeuf Milliet Bénitier&Co)」の名前で Creil et Montereau Faïenceries 工場で製造が行われました。
L.M.&Cie は Lebeuf 、Millet のことで、ルイ・マルタン・ルブフ(Louis Martin Lebeuf)1792-1854年と、ジャン・バティスト・グラティアン・ミリエット(Jean Baptiste Gratien Milliet)1797-1875年は、1841年にクレイユ製陶工場の共同経営者となりました。
合併後、Faïenceries de Creil et Montereau として、1876年まで Lebeuf, Milliet & Cie(L.M.&Cie)の刻印が使用されました。しかし1895年のクレイユ工場の火災により操業は停止され、その後は、1920年までモントロー工場のみで製造を続けていました。
また「B&Cie(Barluet et Cie)」の刻印は、1876年にアンリ・フェリックス・アナトール・バリュエ(Henri Félix Anatole Barluet)が1884年に亡くなるまで「Barluet et Cie」の名を冠した「Société de la manufacture de Creil et Montereau」のディレクター時代のものとなります。
その後1895年に Creil窯 は閉窯、Montereau窯での操業が続きます。一方 Hippolyte Boulenger de Choisy(H.B.C) は、1804年パリの南 Choisy le Roi に設立された歴史あるフランスの古窯。 Creil et Montereau は1920年にその Choisy le Roi(ショワジー・ル・ロワ)窯と合併。後の H.B.C.M(Hyppolyte-Boulanger Creil et Montereau)=イポリト・ブーランジェ・クレイユ・モントローとなります。
その後1936年の労働者のストライキにより Choisy-le-Roi での製造は停止状態となり、Montereau の地で1955年まで続きますがその後閉窯となりました。同時期にChoisy le Roiも閉窯となり長い歴史に終止符を打ちました。
Montereau(1800-1825)
Louis Lebeuf and Thibault(1825-1833)
Louis Lebeuf(1833-1840)
Lebeuf Millet&Cie(1840-1875)
Barluet et Cie(1876-1884)
Société anonyme Creil et Montereau (1884-1920)
HBCM(1920-1955)